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0311

東日本大震災 きょうで2年。   



   ご冥福をお祈り申し上げます


大震災と大津波、放射能汚染が東北を襲った東日本大震災は、11日で発生から2年となる。死者は1万5881人、行方不明者は2668人に上る。震災関連死2303人を含め、犠牲者は2万852人。

いまなお約31万人のひとたちが仮設住宅などで避難生活を強いられ、福島第1原発事故の避難者は、帰郷のめどが立たない。

復興庁によると、避難生活による体調悪化や自殺などで亡くなった震災関連死は福島で1121人、宮城で812人、岩手323人を数える。

避難者の滞在先は、全国47都道府県に及び、被災3県から県外へ避難している被災者は6万6000人を超える。
 
これは、ベトナム人生徒達や校長が、震災後の3/31に日本大使館を訪問。

生徒の作った手形 集や生徒が祈りを捧げている風景を納めた写真を託した。


 神戸ルミナリエ

 


阪神淡路大震災も経験しました。

上の写真は「神戸ルミナリエ」。地震の発生を契機に「鎮魂と追悼、街の復興」を祈念して、毎年12月に開催されている。

三宮に住む友人に電話して、初年度に家族で見学に行った。

あの時、あと2時間、地震発生が遅れていたら通勤途中の阪神高速の上で被災していた。

被害は、関西全域に広がっていたかもしれない。




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Posted on 2013/03/11 Mon. 12:00 [edit]

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0308

「江夏の21球」と山際淳司さん  


   
「江夏の21球」
というルポが好きだった。
今でもお気に入りの作品だ。



1980年、スポーツグラフィック・マガジン
『NUMBER』の創刊号に掲載された山際淳司さんの才能が際立った作品だ。



後に
《スローカーブを、もう一球》という、氏の作品8篇を集めた本が出され、日本ノンフィクション賞を受賞している。



1979年11月4日。日本シリーズ第7戦
シーズンの掉尾を飾る最終戦。



その日、私は、大阪球場ライト側の外野席にいた。だから、このルポを目にした時は、何も考えず、条件反射的にその雑誌を手にしていた。そこにいたから。



子供の頃から熱狂的な近鉄バッファローズ のファンだったから当然の事だろう。



10代後半だった。当時、仲間内で流行っていた願掛けの一種《お願いタバコ》をして、祈るような心境で、その場にいた。


巨人でも阪神でもない。
近鉄広島というマイナーチーム同士の対戦!



近鉄ファンからすれば、その球史に残る激闘のドラマを
《僅か21球》という視点で捉えた切り口に、衝撃を覚えたものだ。



対象物との確かな距離感。入り込まず、でも、曖昧でもなく。スポーツの読み物にありがちな汗と涙の根性モノではない。



サラッとした感覚の、皮膚に付けてベタつかず、それでいて使用後に潤いをもたらしてくれる。そんな感じの当時としては、洗練されたCOOLで、都会的だった印象がある。



私にとっては、ノンフィクションというジャンルをさらに楽しくさせてくれた作品だった。



山際さんは、私が感じている限り、瞬く間にジャーナリストとしての脚光を浴び、執筆活動と共にNHKのスポーツ番組のキャスターなど90年代の半ば頃まで、メディアの中心にいた。



売れっ子になって、忙しかったのだろう、印刷所の校正室で書いて、それをそのまま活字にするような、そんな多忙な日々が、あったのかもしれない。その後、レベルこそ違い同じような仕事をしていたが、凡庸な私では、計り知れないストレスもあったのだろう。



山際淳司さんが46歳の若さで世を去り、すでに17年が過ぎた。あの時から34年目の春が来ようとしている。 


 


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Posted on 2013/03/08 Fri. 19:00 [edit]

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